【消えた天才・川端健斗】手術、留年経て社会人野球で復帰「プロ諦めてへん」/連載3

かつて世代屈指と呼ばれた左腕、川端健斗投手(24)が社会人野球エイジェックに入社しました。約2年ぶりの球界復帰。秀岳館(熊本)では4季連続で甲子園に出場し、3季連続で4強入り。11試合で計48回2/3を57奪三振、防御率1・48と圧倒的な数字を残しました。

18年に立大入学後は1年春からリーグ戦登板も、肘の故障に悩まされ、3年春から登板なし。4年秋にはトミー・ジョン手術を経験しました。川端投手は立大時代、記者の1学年上の先輩。ケガや学業、今後の野望…、当時聞けなかったことをゆっくり丁寧に振り返ってくれました。3回連載の最終回です。

その他野球

◆川端健斗(かわばた・けんと)2000年(平12年)1月26日、京都・木津川市生まれ。小3から野球を始め、中学では南都ボーイズに所属。秀岳館では1年秋からベンチ入りし、2年春のセンバツから4季連続で甲子園に出場。3季連続で4強入りした。3年夏はU18高校日本代表に選出された。立大を経て24年4月にエイジェックに入社し、地方創生事業部に所属。家族は両親と兄、弟。174センチ、74キロ。左投げ左打ち。

リハビリでブルペン投球を行う川端健斗投手(本人提供、サムネイルも)

リハビリでブルペン投球を行う川端健斗投手(本人提供、サムネイルも)

慎重にリハビリ

川端投手は22年11月中旬、トミー・ジョン手術を受け、リハビリが始まった。

「ボール触りだしたんが(術後)6カ月くらいの時かな。そっからは超ゆっくり。キャッチボール再開は9カ月後とかぐらい」

同手術を受けると、実戦復帰には最低でも1年以上を擁する。慎重にリハビリを重ねた…というより重ねることができた。

「俺の場合は、なんぼはよリハビリしても学業があったから。卒業まで時間あるしと思って、2年をメドに進めた」

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野球

黒須亮Ryo Kurosu

Tokyo

1998年5月、茨城県古河市出身。23年入社。古河三高から2浪の末、「おもしろそうだから」という理由で出願した立大文学部キリスト教学科に入学できた。ゼミは「キリスト教音楽論」。立大野球部ではDeNA中川颯投手が2学年上、楽天荘司康誠投手が同期。リーグ戦出場には遠く及ばなかったが、現在プロや社会人野球で活躍されている選手やマネジャーと過ごした4年間は貴重な時間だった。趣味は母がオペラ歌手だった影響から舞台観劇。また、幼少期からMLBが大好き。24年5月にドジャース大谷翔平投手と同じマットレスを購入するなど、とりあえず形から入る。