【日本ハム柳川大晟】191センチ「トッププロスペクト」もう腐らない/連載45

プロ野球には潜在能力や伸びしろを評価され、「トッププロスペクト」と呼ばれる選手がいます。日本ハム柳川大晟投手(21)もその1人です。最速157キロの直球を武器に育成3年目の今季、5月10日に支配下登録されました。同26日の楽天戦(楽天モバイル)で先発し、大きな1歩を踏み出しました。高校3年時の右肘手術の影響もあり、1軍デビューは同期入団の投手7人で最遅。入団後に抱え続けていた複雑な思いと、初登板から2カ月前の〝腐った〟エピソードを明かしてくれました。

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◆柳川大晟(やながわ・たいせい)2003年(平15)8月21日、大分県生まれ。小学2年から野球を始め、中学時代は日出ボーイズ所属。九州国際大付では甲子園出場なし。2年時に152キロをマーク。21年育成ドラフト3位で日本ハム入団。23年に2軍で13試合登板し1勝0敗、防御率1・72を残し、24年5月10日に支配下選手登録。191センチ、92キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸540万円。

楽天戦に、先発として1軍初登板

楽天戦に、先発として1軍初登板

「普通に調子が良くなかった」

プロ初登板から9日が過ぎた6月4日。不本意ながら戻って来た千葉・鎌ケ谷で仙台でのマウンドを振り返った。

この日は2軍降格後、初の実戦マウンドを控えていた。昼食をとった後、登板に備えてカフェイン摂取のためのレッドブルを握りながら、回想した。

「普通に調子が良くなかったっていう感じです。フォアボールを嫌がって、なんか腕が振れなくなった、みたいな」

1軍初登板は3回3安打3四球3失点。1回と3回は先頭打者に与えた四球がきっかけで失点した。

試合後に、柳川の担当スカウトでもある林ヘッドコーチに2軍降格と中継ぎでの再出発を通達された。

「普通に調子が良くなかったっていう感じです。フォアボールを嫌がって、なんか腕が振れなくなった、みたいな」

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野球

黒須亮Ryo Kurosu

Tokyo

1998年5月、茨城県古河市出身。23年入社。古河三高から2浪の末、「おもしろそうだから」という理由で出願した立大文学部キリスト教学科に入学できた。ゼミは「キリスト教音楽論」。立大野球部ではDeNA中川颯投手が2学年上、楽天荘司康誠投手が同期。リーグ戦出場には遠く及ばなかったが、現在プロや社会人野球で活躍されている選手やマネジャーと過ごした4年間は貴重な時間だった。趣味は母がオペラ歌手だった影響から舞台観劇。また、幼少期からMLBが大好き。24年5月にドジャース大谷翔平投手と同じマットレスを購入するなど、とりあえず形から入る。