【日本ハム細野晴希】上々の甲子園デビュー一夜明け、鎌ケ谷で語り尽くした/連載51

熱投から一夜明けて―。日本ハム細野晴希投手(22)が6月18日、阪神戦(甲子園)で1軍初登板を果たしました。5回に制球を乱したものの、4回2死まで昨季日本一の阪神打線を完全投球で封じ込めました。今回は一夜明けた翌19日、千葉・鎌ケ谷へ帰寮直後に、盟友の進藤勇也捕手(22)とのサイン交換にまつわるエピソードや、レジェンドリリーバーからかけられた言葉。4年ぶりとなった打席での臨場感など、オフモードのメガネ姿でたっぷりと語って頂きました。

プロ野球

◆細野晴希(ほその・はるき)2002年(平14)2月26日生まれ、東京・八王子市出身。加住小2年から交友ビクトリーズで野球を始める。東海大菅生中では軟式野球部に所属。東亜学園に進学し、1年夏からベンチ入り。甲子園出場はなし。東洋大では1年秋からベンチ入り。昨年8月の大学日本代表―高校日本代表でアマ左腕最速の158キロをマークした。23年ドラフト1位で日本ハムに入団。180センチ、86キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸1300万円。

■「初見だったとはいえ、まず自信になったというか」

――初登板から一夜明けました。改めて振り返って

いろいろ本当に収穫があったので、うん。いい登板だったなと思います。

――収穫としては直球で押せた部分でしょうか

どの球種も通用してたので。初見だったとはいえ、まず自信になったというか。あとは本当に投げどころを、これからちょっとずつ修正していきたいですね。

なんかやっぱり最初は結構ピッチャー有利ってみんな言ってたので。結構思い切っていけたんですけど。次、2回目(の1軍登板)からがやっぱり勝負かなって思います。

――課題は低めで振らせるボールとコメントしていました

当初は低めに投げたかったんですよ。それが力入りすぎちゃってて、全部浮いちゃってたので。ボールの質がどうこうっていうより、もうほんとにそこ(低め)に投げられなかったっていう。

まず低めを狙いすぎたのがちょっとダメです。ファームにいるときは、別に(ストライク)ゾーンに投げてもある程度はファウルにしてくれて、空振りしてくれるっていう話だったんですけど。

1軍の選手は(ストライク)ゾーンのフォークが一番飛ぶみたいな話を聞いていたので。(ストライク)ゾーンには投げられないなっていうので、慎重になりすぎたのかもしれないです。

――率直に初登板の感情は。うれしかったか、悔しかったなどは

いやもう課題が見つかったので。それに取り組みたいです。

――組み立ては進藤選手と話をして決めた

曲げどころはもうゾーンの中で勝負していって。で、球種の選択は、その日の僕の調子を見たり、あとはバッターの反応を見たりして決めました。

■「先入観でちょっと下からいき過ぎたのが」

――進藤選手には全幅の信頼を置いていますが、首を振ることはありましたか

2回ぐらい首振ったんですけど、変わらなかったですね、サインが。

――どの場面

5回ですね。多分5回。森下さんの時に(首)振ったんですけど。なんかあんまりいい記憶がなくて、森下さん。結構はじき返された記憶が大学生の時に多いので。昨日も打たれましたけど。

そこで僕が結構なんていうか、先入観でちょっと下からいき過ぎたのが多分食い違いがあって。ストレートが3球くらい続いて怖いなと思って。

――首を振ったけどストレートのサインが出たと

そうです。勇也が言うんだったらいこうと思ったんですけど。

――首を振ってもサインが変わらないことは結構あるのでしょうか

本文残り80% (4854文字/6081文字)

野球

黒須亮Ryo Kurosu

Tokyo

1998年5月、茨城県古河市出身。23年入社。古河三高から2浪の末、「おもしろそうだから」という理由で出願した立大文学部キリスト教学科に入学できた。ゼミは「キリスト教音楽論」。立大野球部ではDeNA中川颯投手が2学年上、楽天荘司康誠投手が同期。リーグ戦出場には遠く及ばなかったが、現在プロや社会人野球で活躍されている選手やマネジャーと過ごした4年間は貴重な時間だった。趣味は母がオペラ歌手だった影響から舞台観劇。また、幼少期からMLBが大好き。24年5月にドジャース大谷翔平投手と同じマットレスを購入するなど、とりあえず形から入る。