【スクール☆ウォーズのそれから】「悔しいです!」と叫んだ主将が見た景色~晩夏の菅平

高校ラグビーで伝説のチームを描くために、49年前の記憶をたどる旅にでた。ドラマ「スクール☆ウォーズ」の題材になった伏見工が0-112の屈辱的大敗を喫したのは1975年(昭50)の春だった。その夏、本気で花園を目指すようになった不良生徒たちは初めて菅平高原へ向かう。森田光男が演じた今は亡き主将が見た景色を描く。

ラグビー

伏見工を全国制覇へと導いた山口良治(左)とドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった小畑道弘

伏見工を全国制覇へと導いた山口良治(左)とドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった小畑道弘

もう1つの名場面~
亡き主将が走った丘

昼すぎまで晴れていたのがうそのように、夕方の菅平は分厚い雲に覆われた。

試合や練習を終えた選手たちが、坂道を走りながら宿舎へと急ぐ。

大柄なラガーに混じる線の細いカモシカのような足の選手は陸上部であろう。

軽井沢から北西に車を走らせ1時間とちょっと。

冬はスキー、夏になればラグビーのメッカとして知られる標高約1600メートルの高原には、長距離走の選手たちも集う。

訪れたのは8月下旬。

明大ラグビー部を取材している時に、ふと見た光景があった。

視界の先にある丘。

フラッシュバックするかのようにふと、思い出したのである。

49年前の夏。

あの人は夕暮れ時にダボスの坂道を走っていた。

左の足首は赤黒く、自分のスパイクが履けなくなるほどにパンパンに腫れ上がっていた。

それでも痛みをこらえ、必死に走った。

ただ、いつも先頭を走っていた伏見工のキャプテンは、足の痛みがひどく、集団から後れを取った。

その姿を見た泣き虫先生こと監督の山口良治は丘を登ってゆく。

主将とは森田光男が演じた小畑道弘。

山口が監督に就任後、初めての公式戦で0-112で強豪の花園高校に大敗。

「悔しいです!」

そう叫び、ドラマで描かれたあの人である。

もう、小畑はこの世にはいない。

「伏見工業伝説」(文芸春秋)を執筆した時の取材で明かされた、もう1つの名場面がある。

49年が過ぎた晩夏、あの坂を登ってみたくなった。

小畑はどんな景色を見ていたのだろう。

そして、あの坂の途中から、年老いた山口に1通のメッセージを送った。

「今、菅平にいます」

返事はすぐにあった。

スクール☆ウォーズのそれから。

物語はまだ、続いていた。

本文残り76% (3547文字/4669文字)

編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。