【金近廉〈下〉】ダンクの出来る父から教わったトップ選手の振る舞い方

日本のバスケットボール界がかつてないほど注目を集めています。今の勢いをさらに加速していくためには、若手選手の成長と活躍がカギ。Bリーグ、そして日本の男子バスケ界の将来を担うスター候補生たちに、タイムリーな話題から子供時代の話までいろいろと伺っていきます。第1弾は千葉ジェッツの金近廉選手(22)。前回の日本代表での話に続き、今回は子供時代とご家族について伺っています。(インタビューは9月27日に行いました)

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◆金近廉(かねちか・れん) 2003年3月11日生まれ、大阪府出身。関大北陽高校から東海大に進み、大学2年時の全日本大学選手権では、得点王と優秀選手に輝いた。2023年2月、ワールドカップ(W杯)アジア2次予選で日本代表に選出。デビュー戦となった同23日イラン戦で20得点をマークし、強烈な印象を残した。直後に大学を辞め、Bリーグの強豪・千葉ジェッツに練習生として入団。プロ契約1年目の昨季、Bリーグの新人賞を獲得した。196センチ、88キロ。ポジションはスモールフォワード(SF)

10月6日のリーグ開幕2戦目で、昨季のシーズンMVP宇都宮ブレックスのD.J・ニュービル選手とマッチアップ

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「小さい頃は空手、ドッチボールもやっていたんですよ。ガチなやつ」

―お父さんの金近潤さんはNTT西日本などで活躍されたバレーボールのトップ選手でした。トップのリーグでプレーされていた時の記憶はありますか

試合会場に行っていた記憶は少し残っています。最後にプレーしていた兵庫デルフィーノの試合です。ただ、プレーしていたところはあまり覚えていません。以前、テレビ局のディレクターさんが、父の昔のテレビ映像を編集して送ってきてくれたことがあります。でも、現役を終えても一社会人としてバレーボールは続けていたので、その試合はたまに見ていました。

―子供のころ、バレーボールをやれとは言われなかったのですか

一切、言われていないですね。僕、空手をやっていたんですよ。小学校低学年のころ2、3年くらい。バスケを本格的に始めてからは辞めましたけど。

―お父さんから勧められたのですか

いえ、バスケもそうですが、2歳上の兄が先にやっていて、僕も後から始めるみたいな感じで。バレーボールをやれというのは本当になかったです。それこそシンプルに、泳ぎ方や走り方、ジャンプの仕方などを一緒に遊びながら教えてもらった記憶があります。そうだ、ドッチボールをやっていたんですよ、競技の、ガチなやつ。空手と同じように、小学校の2、3年生くらいまでやっていたかなぁ。だから投げるのは得意です。興味が湧いたやつをいろいろやっていましたね。

ロックアイスベースで行ったインタビューで苦笑いする金近選手

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―お父さんは怖い人でしたか

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。