【住吉りをん〈下〉】「夢を与える側の人間になりたい」2人の先輩がくれた約束と目標

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第27弾では、今季、グランプリ(GP)ファイナルに初進出を果たした住吉りをん(20=オリエンタルバイオ/明治大)が登場しています。昨年11月のGPシリーズ第3戦フランス杯では、国際スケート連盟(ISU)公認大会で日本女子初の4回転トーループを成功。2年連続で表彰台入りを果たし、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を見据えて着々と歩みを進めています。

全3回でお届けする連載の下編では、初めて味わった挫折から、復活までの道のり、五輪が目標になった日のことを描きます。夢を与える側に―。20歳の決意に迫りました。(敬称略)

フィギュア

◆住吉(すみよし)りをん 2003年(平15)8月15日生まれ、東京都杉並区出身。4歳の時に姉の影響で競技を開始。原宿外苑中1年時の全日本ノービス選手権で、当時の歴代最高得点となる108.25点を記録し優勝。駒場学園高2年時に初めて全日本選手権に出場。2022年に明大に進学し、オリエンタルバイオと所属契約。シニアに転向した同年、初出場のGPシリーズ第3戦のフランス杯で銅メダルを獲得。2023年の同大会では、ISU公認大会で日本女子初の4回転トーループを決めて2年連続3位。同年にGPファイナルに初出場。練習拠点は、明治神宮外苑アイススケート場。中2からハムスターを飼育しており、現在のサボンは5代目。好物が転じ、趣味はパン作りでプロ並みの腕前。

インタビューに答える住吉りをん(撮影・河田真司)撮影場所:明治大学和泉キャンパス

インタビューに答える住吉りをん(撮影・河田真司)撮影場所:明治大学和泉キャンパス

悲運に見舞われた高校1年目シーズン

2019年。東京・駒場学園高に進学して初めて迎える夏の日だった。

「なんか痛いな…」

住吉は、右足首に違和感を覚えた。

ジュニアGPシリーズ第3戦リガ杯(ラトビア)を、1カ月半後に控えていた練習中のこと。すぐに病院で受診。MRIを撮って精密検査を受けたが、異常はどこにも見つからなかった。

早期発見で対策を打てていれば、どれだけよかっただろうか。我慢を押して練習を続け、迎えた9月の大会当日。万全とは程遠い演技で8位にとどまったが、本当の悲劇はこのあとだった。

だましだまし使っていた軸足となる右足が、悲鳴を上げていた。

「どう考えても『痛すぎる』。そう思って、もう1度病院に行きました」

診断名は、右距骨離断性骨軟骨炎。

「ここだよ」

そう言って先生が見せてくれたMRI写真には、きれいな白い線が真っすぐに刻まれていた。軽傷でないことは、誰の目にも明らかだった。

右足のMRI写真。矢印部の距骨には、損傷がくっきり(本人提供)

右足のMRI写真。矢印部の距骨には、損傷がくっきり(本人提供)

「どれくらい休まないといけないんですか…」

絞り出したその言葉に、無情な返事が続いた。

4カ月間スケート禁止―。これ以上続けると、すぐ上の軟骨に影響が出て、手術しなければならない状態になるという。

突きつけられた現実は、16歳にとってあまりにも唐突で、受け入れがたいものだった。これまでのスケート人生12年間の中で、4カ月間も氷の上に立てなかったことなど1度もない。ブラインドが降りるように、目の前が暗転した。

「想像がつかなすぎて、何も考えられませんでした。悔しさはもちろん、周りから完全に置いていかれるんじゃないか、元の状態に戻れないんじゃないかっていう怖さもありました」

目標としていた2022年北京五輪まで、あと3年に迫っていた高校1年目。大切なその1シーズンを、棒に振ることになる。翌年のユースオリンピック出場権がかかる、11月の全日本ジュニア選手権の舞台を踏むことさえかなわない。それが、一番やり切れなかった。

立ち直るきかっけをくれた母の言動

失意の中、立ち直るきっかけをくれたのは、この時も母だった。

「見に行くよ!」

その言葉とともに手渡されたのは、全日本ジュニア選手権のチケット。現実から目を背けてはならない―。そんな、メッセージだったのだろうか。

「多分、母自身も悔しかったんだと思います。それでも、勉強になるからって」

公式戦で初めてトリプルアクセル(3回転半)を成功させ、全日本ジュニア選手権で優勝した河辺愛菜(2019年11月17日撮影)

公式戦で初めてトリプルアクセル(3回転半)を成功させ、全日本ジュニア選手権で優勝した河辺愛菜(2019年11月17日撮影)

2019年11月17日。最高気温20度を超える小春日和で、上空には透き通るような青色が広がっていた。KOSE新横浜スケートセンター。住吉は、そのスタンドの一角で、ギュッと唇をかみしめていた。

その日、世代の頂点に立ったのは、後に北京五輪代表に選ばれる河辺愛菜。1学年下のライバルは、合計193.57点をマークする圧倒的な滑りを披露した。

2位に川畑和愛、3位に吉田陽菜。表彰台で笑顔を振りまく同世代たちとは対照的に、心のくもりが晴れることはなかった。

「みんなが、どんどん結果を残したり成長したりしているのが本当によく見えたので…」

悔しすぎた。歯がゆすぎた。

「家に帰って、大号泣したのを覚えています。その時点でまだあと2カ月以上も休まなきゃいけなかったので、『もう耐えられない』って思いました」

涙で腫らした目をこすり、母に打ち明けていた。人生で初めて、〝スケートをやめたい〟、と。

住吉はこの時のことを、次のように振り返る。「あの時『やめちゃダメ』とか言われていたら、逆に違う気持ちだったかもしれないんですけど…」。

やめたい。おえつ交じりのその言葉に対し、母の返事は毅然(きぜん)としていた。

「その程度の思いだったんなら、別にやめてもいいんじゃない?」

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。