【三宅咲綺〈中〉】「イップスかも…」試合が怖かった低迷期、氷につなぎ留めた言葉

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第31弾では、三宅咲綺(21=岡山理科大)を描きます。親友で現在世界選手権3連覇中の坂本花織の勧めで、神戸クラブに拠点を移し2季目を迎えた2023-2024年シーズン。10月の中四国九州選手権で3連覇を達成。同月の西日本選手権では自己ベストとなる合計179.03点で2位となり、3年連続で全日本選手権の舞台に立ちました。シーズン後には地元のヒーロー高橋大輔に勧誘されてアイスショー「滑走屋」にも出演。大学4年生にして、表現の幅を広げています。

全3回の中編では、ノービス時代から2019年全日本選手権までの歩みをたどります。練習では跳べるのになぜか試合では跳べない。そんな苦悩の時期が長くありました。挫折から復活までの道のりを描きます。(敬称略)

フィギュア

◆三宅咲綺(みやけ・さき)2002年(平14)11月23日、岡山県倉敷市生まれ。7歳の時に競技を開始。岡山理科大付属高2年時の2019年全日本選手権で12位。岡山理科大に進学し、坂本花織の勧めで2022年春に神戸クラブへ加入。移籍1年目の2022年の全日本選手権ではSPで自己最高の66.29点を記録し5位発進。2023年10月の中四国九州選手権で3連覇を達成。同月の西日本選手権では自己ベストとなる合計179.03点で2位となり、3年連続で全日本選手権に出場。シーズン後には高橋大輔のアイスショー「滑走屋」にも出演。現在は岡山と神戸を行き来する生活を送る。155センチ。趣味は船釣り。

長い孤独のマリンライナー

スケートを始め、2年の歳月が流れた小3の冬の日。

それまで“無敵”だった三宅の身体に、異変があらわれていた。

ジャンプが跳べない-。

それも、試合の時に限って。

「気が付いたら、いつのまにか転んでいる状態でした」

小学校中学年。「思春期の入り口」と呼ばれ、自我が確立され始める時期。自然と、他人の目線を意識するようになっていたのだろうか。

「練習ではできるのに、本番になったらうまく力が入らないんです。『あがり症』じゃないけど、本番で実力を出せなくなってしまいました」

変化が起きていたのは、身体ではなく心だった。

昨日までは何でもなかった試合が、今日は怖い。試合で転倒する度に、表彰台を逃す度に、焦燥感は増していった。

人生で初めて感じたスランプ。

「このまま続けててもいいのかな」「やめたほうがいいのかも」

ただ楽しくて氷の上を滑ってきただけなのに、いつしかそんな言葉が口をついて出るようになっていた。

大会に出場する幼き日の三宅咲綺(本人提供)

大会に出場する幼き日の三宅咲綺(本人提供)

15歳の時に単身で上京し、歌手としての夢をつかんだ母は、そんな娘のネガティブな姿勢を受け入れることができなかった。

「母自身が大舞台を得意とするタイプだったから、娘の私に対しても『どうして本番ではできないんだろう』って思い悩んでいました。母も、人前に立つことを仕事としている人間として、『私だったらもっとうまくできるのに』みたいな歯がゆさがあったんだと思います」

小2から小3にかけては、コーチの関係で香川県高松市のリンクにも通っていた。週4日、1人で電車を乗り継ぎ、児島から片道約2時間の道のりを行く。

快速「マリンライナー」の車窓から臨む瀬戸内海の絶景にも、心を動かされる余裕はなかった。

心にゆとりがなかったのは、決して安くはない交通費や月謝を支払ってくれていた両親にとっても同じだったに違いない。

三宅は「あの頃はずっと怒られてばかりいましたね」と、当時を振り返る。

父の弁当

それでも、くじけそうになった時、周囲にはいつも、支えてくれる人たちがいた。

「ほんとに私、人に恵まれていて。やめようと思ったタイミングで、誰かが手を差し伸べてくれることが多かったんですよね」

この時、背中を押してくれたのは意外な人物だった。

競技を開始した当初から、続けることに否定的だった父。

「お金がかかるし、将来的にプロ野球やゴルフのように大きな収益を得られるような競技じゃないからって、父は最初からスケートをやることに猛反対していたんですよ。たぶん(家に)1人になるのが寂しかったのもあるとは思うんですけど(笑い)」

リンクに通うのもおっくうになっていたある日、そんな父が、そっと声をかけてくれた。

「1度自分で決めたことなら、やりきれ。もっと頑張れよ」

初めて伝えられた励ましの言葉もうれしかったが、翌々日にはさらなるサプライズが待っていた。

「練習、頑張ってこいよ」

玄関で靴ひもを結んでいると、そう言って包みを手渡された。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。