【木科雄登〈下〉】コロナ、腰骨骨折…「あと2年」の現役生活

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第35弾は、今春関大の大学院に進学した木科雄登が登場します。3回連載の最終回では、関大入学後に襲われたコロナ、大けがといった苦難の中でもがく姿を描くとともに、2025-26年シーズンをもって現役を退く決断を下した今の心境に迫ります。(敬称略)

フィギュア

◆木科雄登(きしな・ゆうと) 2001年(平13)10月15日、岡山・浅口市生まれ。5歳でフィギュアスケートの短期教室に参加したことをきっかけに競技を開始。全日本選手権8年連続出場中。今春、関大社会安全学部を卒業し、現在は同大大学院1年生。

インタビューで、これまでの競技生活など振り返って語ってくれた木科雄登(撮影・加藤哉)

インタビューで、これまでの競技生活など振り返って語ってくれた木科雄登(撮影・加藤哉)

新天地、関大

木科は2018年、無良崇人の引退を機に関大へ完全移籍した。中村優や高橋大輔と滑ることができる練習環境。仲間と一緒に連続でジャンプを跳び、成功できるまでチャレンジ。そんな新しい練習方法に意欲は向上し、その年に全日本選手権8位になるなど、移籍という大きな決断を疑うことはなかった。

全日本選手権男子フリーで滑る木科雄登(2018年12月24日撮影)

全日本選手権男子フリーで滑る木科雄登(2018年12月24日撮影)

「でも、ジュニアで1シーズンだけジュニアグランプリに出れていない年があって」。

「あんまり喋ったことない」と切り出した木科は、笑顔を崩さないまま、2019年6月に関大のリンク近くで自転車で転び、左膝を負傷した過去を打ち明けた。

「(濱田からは)自転車禁止令ですね。なので、それからはバスを使ってリンクまで来ていました。『もう自転車乗ったらあかんで』みたいな感じで言われて、ずっと乗ってなかったです(笑い)」

けがで、毎年のように派遣されていたジュニアGPシリーズへの出場はかなわなかったが、1シーズンを棒に振ることはなく、今では笑って話せるようになった。

ただ、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によってつけられた傷は、違った。

「コロナが一番きつくて…」

世界中を襲ったパンデミックは、木科からも笑顔を奪った。

木科雄登の手(撮影・加藤哉)

木科雄登の手(撮影・加藤哉)

コロナ禍で失われたモチベーション

「関大に入学してからも練習も全然できないし、大学もリモートだし…なんだこれと思って。海外の試合もなくなるし、シニアに向けてためてきた世界ランキングのポイントも全部失効していくし。ここまで頑張った意味はあったのかなって…。ジュニア時代に積み重ねて、シニアの1~2年目ってすごく大事なシーズンだと思うんですけど、そのシーズンが台無しになったというか、コロナのせいで今まで頑張ってきたことが報われなかったって言うのですごいやる気がなくなりました」

これまでの競技生活などを、振り返って語ってくれた木科雄登(撮影・加藤哉)

これまでの競技生活などを、振り返って語ってくれた木科雄登(撮影・加藤哉)

感染が拡大し始める2020年に関大に入学。けがも少なく安定した結果を残しており、当時目指していたグランプリ(GP)シリーズへ向けて着実にポイントを積み重ねていた。それなのに…。未来への道とともに、歩いてきた道までもが崩れていくような気がした。

「それまではすごくうまくいっていたと思うんですよね。そんな中で、自分で壁に当たったわけでもなく、外的なコロナって言う要因で自分のモチベーションがなくなったこともショックでした」

メディアは、毎日感染者数を知らせてくる。関大での新生活が始まるはずだったが、パンデミックを受けて、地元岡山に帰郷。幸い岡山はリンクの営業再開が早く同年夏には氷上に戻ることができたが、生きるだけでも大変な時代に、気持ちはついてこなかった。

NHK杯男子SPで演技する木科雄登(2020年11月27日撮影)

NHK杯男子SPで演技する木科雄登(2020年11月27日撮影)

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スポーツ

竹本穂乃加Honoka Takemoto

Osaka

大阪府泉大津市出身。2022年4月入社。
マスコミ就職を目指して大学で上京するも、卒業後、大阪に舞い戻る。同年5月からスポーツ、芸能などを取材。