櫛田一樹、最後の全日本選手権への長い道のり〈上〉

フィギュアスケートの全日本選手権が21日に長野で幕を開けます。

男子の櫛田一樹(24=倉敷FSC)は、今季限りでの引退を決めている1人。7年連続となる全日本の舞台では、磨き上げてきたステップで会場を魅了すると意気込んでいます。

「アイストーリー」の上編では、競技を始めた当初の記憶をたどり、高校3年の全日本ジュニア選手権で4位に入るまでの道のりを描きます。(敬称略)

フィギュア

今季限りでの引退を表明している櫛田

今季限りでの引退を表明している櫛田

フィギュアスケートとの出合い

瀬戸内海にほど近い岡山県倉敷市。冬の到来を感じさせる11月下旬。

小高い山の上に位置するヘルスピア倉敷のロビーの時計は、午後7時半を回っていた。

いすに腰を下ろした櫛田一樹は、中学3年の小河原泉颯(いぶき)から声をかけられた。

「明日は貸し切り?」

10歳年下の少年の低くなりきっていない声に、櫛田は「明日はオフやって!」とかぶせる。

「泉颯くん、今の声、録音されとるから!」

笑いながら続けると、小河原から「え、そうなの!じゃ、バイバイ!ありがとうございました!」と別れを告げられた。

玄関の外へ走っていくリンクメートに目をやりながら、櫛田は言う。

「年下の選手たちばかりです。僕はここでは“長老枠”ですね」

そうつぶやくと、顔をクシャっとさせた。

今年6月9日に24歳の誕生日を迎えた。このリンクでは最年長のスケーターとなる。10歳以上も年の離れた子どもたちと接する日々が、今の日常でもある。

幼い頃は自分がこの年までスケートを続けることを想像できなかった。

「みんなは小さい頃から始めていたんですけど。今も一緒の試合に出ているのは違和感がありますね」

競技を始めたのは11歳の頃だった。

脳裏に焼き付いた田中刑事の3A

スケートと出合うまでは、勉強漬けの毎日だった。

「スポーツの習い事は全然していなくて、ずっと塾に行っていました。英語塾に行ったり、学習塾に行ったり。塾三昧みたいな感じで。学校が終わって、家に帰って、また塾へ行くのがルーティンみたいな感じでした」

週に4回ほどは塾へと通った。その合間を見つけ、友達とは野球やサッカーで遊んだりした。ゲーム機のDSやWii(ウィー)で「ポケットモンスター」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」などで対戦する時間も好きだった。

当時の自分を「普通の子どもみたいな感じだったと思います」と振り返る。

そんな日々が変わり始めたのは、小学5年生の頃だった。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。