【吉田唄菜(上)】「トトロのメイちゃん」負けず嫌いな少女がアイスダンスで輝くまで

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第39弾は吉田唄菜(21=木下アカデミー)が登場します。2023年5月から森田真沙也とカップルを組み、アイスダンスで活躍中。今季は11月のNHK杯でグランプリ(GP)シリーズにも初出場しました。

全3回連載の上編では、負けず嫌いだった幼少期やアイスダンスの道へ進んだノービス時代の記憶をたどります(敬称略)。

フィギュア

◆吉田唄菜(よしだ・うたな)2003年(平15)9月6日、岡山県倉敷市出身。6歳から競技を始めた。杉山匠海と組み、16年全日本ノービス選手権、17年トルン杯を優勝。17-18年シーズンの直前にカップル解消。18年11月に西山真瑚と出会い、19年1月にカップルを結成。同2月からカナダを拠点とし、同年のジュニアグランプリ(GP)シリーズで2大会連続6位。同年から全日本ジュニア選手権2連覇。20年1月のユース五輪混合団体戦で金メダル。同3月の世界ジュニア選手権12位。21年1月にカップル解消。同5月に浦野誓二とカップルを組むも、ほどなくして解消。23年5月に森田真沙也とカップルを結成し、「うたまさ」の愛称で活躍中。同12月の全日本選手権3位。24年4大陸選手権10位。同11月のNHK杯9位。身長154センチ。

「親からはよく『トトロのメイちゃん』と…」

「丸くなったね」

吉田が近ごろ、よくかけられる言葉だ。

ずっと温かく見守ってくれていた両親、幼いころにはよくけんかをした4歳上の兄陽葵(はるき)、幼少期を知るスケート仲間や関係者。

みんなが口をそろえるのだという。

「昔から負けず嫌いで、気が強くて。だから『丸くなったね』と。本当にいろいろな方から言われます」

笑顔で打ち明けながら、同時に周囲の声には強くうなずく。

幼少期の吉田唄菜(右)と4歳上の兄(本人提供)

幼少期の吉田唄菜(右)と4歳上の兄(本人提供)

「私はいつも自分が好きなようにしてきたかもしれないです。でも勝ちたいという欲が強すぎてもいけないと、最近は思うようになりました」

生来(せいらい)のたくましさがあったからこそ、人生を切り開くことができたが、2人1組のアイスダンスに力を注ぐ今、競技観は変わりつつある。

ただ、強気な性分が変わり始めたのは、ここ最近のことだ。

幼少の記憶を掘り起こそうとすると、自然と苦笑いになる。

「親からはよく『となりのトトロのメイちゃんみたいだった』と言われます」

その時々の感情を大切に、力強く競技人生を歩んできた。

初めて氷に乗った日「すーっと進めちゃって」

2003年9月6日。瀬戸内海に面した岡山県倉敷市は、気温30度以上の真夏日だった。夏の暑さが続く中、吉田は第2子として生を受けた。

物心がつくころには、エレクトーン教室に通っていた。兄と一緒に習っていたが、あまり熱は入らなかった。

幼少期の吉田唄菜(右)と4歳上の兄(本人提供)

幼少期の吉田唄菜(右)と4歳上の兄(本人提供)

「私はどこでも歌って踊って、という感じだったので、座って何かをすることが好きじゃなくて。だからエレクトーンはずっとやめたかったんです」

音楽を奏でるよりも、歌ったり、踊ったりして自分を表現するほうが好き。そこに負けず嫌いの性格も重なった。

「お兄ちゃんとゲームのWii(ウィー)をしていて、私が負けると、リモコンでお兄ちゃんの頭をたたいて、泣かせたこともありました。お兄ちゃんは大好きなので、けんかしたのは小さい時だけですが…」

元気いっぱいにすくすくと育った。

そんな中、6歳のころにスケートと出合った。

きっかけは、2010年2月のバンクーバー五輪だった。

銀メダルの浅田真央と金メダルのキム・ヨナ(韓国)にくぎ付けになった。特に覚えているのは、浅田がショートプログラム(SP)の「仮面舞踏会」を踊り出すシーン。女子では国際大会で初めて1試合で3度もトリプルアクセル(3回転半)を成功させたが、大技へ挑む姿だけでなく、可憐な舞いも胸に刻まれた。

バンクーバー五輪SP後の浅田真央(2010年2月23日撮影)

バンクーバー五輪SP後の浅田真央(2010年2月23日撮影)

「かっこいいなぁ、きれいだなぁって思っていました。キム・ヨナ選手と2人で戦っていた姿が印象的でした。お2人に憧れて、やりたいなと思い始めました」

ちょうどそのころ、同じエレクトーン教室に通っていた友だちが、スケート教室へも通っていることを知った。

「友だちがやっていたので、私もついていく感じで始めました」

母とともに、岡山市内の岡山国際スケートリンクへ。アイスダンスで全日本選手権を2連覇し、岡山を拠点にコーチをしていた有川梨絵が、リンクの一部を開放してくれていた。

初めて氷に乗った日のことは、今も忘れられない。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。