櫛田一樹、最後の全日本選手権への長い道のり〈下〉

フィギュアスケートの全日本選手権が21日に長野で幕を開けます。

男子の櫛田一樹(24=倉敷FSC)は、今季限りでの引退を決めている1人。7年連続となる全日本の舞台では、磨き上げてきたステップで会場を魅了すると意気込んでいます。

「アイストーリー」の下編では、18歳で初出場した全日本の景色から現在までの道のりを描きます。今季は春先に右足を骨折する大ケガを負った中、後輩たちへの思いも胸にリンクへ立ち続けていました。(敬称略)

フィギュア

輝きを放った初舞台

櫛田一樹は東京・武蔵野の森総合スポーツプラザのリンクへと足を踏み入れた。会場全体を見渡す。胸には高揚感が宿った。

「テレビで見ていた場所、これが選手たちが滑っていた場所なんだと。いつもよりリンクが大きく見えました。これまでの大会とは桁違いだなと思いました」

2017年12月下旬。平昌五輪の最終選考を兼ねた全日本選手権。

その初舞台で櫛田は輝きを放った。

ショートプログラム(SP)17位につけると、フリーでは後半のジャンプで初めてルッツ-トーループの連続3回転ジャンプを決めてみせた。

全日本選手権 男子SPの演技を見せる櫛田(2017年12月22日撮影)

全日本選手権 男子SPの演技を見せる櫛田(2017年12月22日撮影)

「最初の単発のルッツがグラっとしたので、トリプルをつけずに次のルッツでつけようと。後半のルッツに気合のトリプルトーをつけたら、初めて降りることができたんです。それまでは前半で3-3だったんですけど、初挑戦で初降りをして。『いけー!』って思ったら、降りることができて」

全日本選手権で男子フリーの演技をする櫛田(2017年12月24日撮影)

全日本選手権で男子フリーの演技をする櫛田(2017年12月24日撮影)

結果は合計181・29点で17位。新人賞は16位の佐藤駿に譲ったが、胸の内には満足感が広がった。

「確かに新人賞には届かなかったですが、得られるものが大きくて、自信につながりました。(競技を始めたきっかけとなった)刑事くんの五輪を決める演技も生で見ることができて。『自分もそこで滑ったんだな』とうれしくなりました」

全日本の勢いはその後も続いた。

翌年1月末のバヴァリアンオープン(ドイツ)へ派遣されると、SPとフリーでともにトリプルアクセル(3回転半)を決め、優勝を収めた。

全日本では僅差で敗れていた佐藤(2位)、6シーズン後にGPファイナルへ進むこととなるアダム・シャオイムファ(3位)をおさえ、表彰台の一番上へのぼった。

「アダム君は当時も筋肉質でムキムキで。その時も4回転2本をやっていたんです。僕はまだ跳べていなかったので、『こんなに4回転を跳ぶ選手がいるんだ』と思って。公式練習を見ていても際立っていて、そこに駿君も出ていたので、自分はよくて3位かなと。とりあえず表彰台には乗りたいと思っていたんですけど、運が味方してくれたというか…。きっと必死に練習をしていたから、神様が見ていたのかもしれないですね」

国際大会での金メダルは自信になった。視界も開けた。

「B級大会ではあったんですけど、優勝したことで気持ちも変わって。もっと全日本で上位にいきたいと思いました」

そう思い描いたが、その期待になかなか自分自身が応えられなかった。

大学進学後の多忙

翌2018-19年シーズンの春からは関西学院大商学部へと進学した。

入学当初は必修科目も多く、連日のように課題に追われた。1人暮らしも始まり、家事や自炊との両立も必要となった。

もちろん、同じような状況でも活躍をしている選手はいるが、櫛田自身は器用に立ち回る性格ではない。忙しない日々を消化するだけで精いっぱいとなっていった。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。