【青木祐奈〈下〉】「勇気をもらった」絶望の全日本に差した光、滑走屋で刺さった言葉

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第28弾では、青木祐奈(22=MFアカデミー)を連載中です。大学ラストイヤーとなった今季は、初のグランプリ(GP)シリーズ出場を飾り、全日本選手権では2年連続の1桁順位となる9位。2月のチャレンジカップ(オランダ)では、自己ベストとなる合計209・37点で2位となりました。シーズン当初は今季限りで引退する意向でしたが、3月中旬に現役続行を決断しました。

全3回の下編では、大学2年の冬から現在までをたどります。最下位となった全日本選手権で差し込んだ光、進退を決めかねて迷った時間、滑走屋への出演期間中に村上佳菜子と村元哉中が授けてくれた言葉。その1つ1つが、今につながっています。(敬称略)

フィギュア

◆青木祐奈(あおき・ゆな)2002年(平14)年1月10日、神奈川県横浜市出身。5歳で競技を始め、14年アジアンオープントロフィーでルッツ―ループの連続3回転ジャンプに成功。同年全日本ノービスA優勝。15年からジュニアGPシリーズに出場し、最高成績は16年チェコ大会4位。横浜清風高3年の19年8月に左足首を骨折し、同シーズンを全休。20年から日大へ進学し、22年春に神奈川FSCからMFアカデミーへ移籍。全日本選手権は15年以降で6度出場し、最高成績は22年大会7位。GPシリーズは23年NHK杯で初出場し、同大会日本女子最高の5位。身長156センチ。血液型A。

「ジャンプだけではいけないね」

耳に残った言葉があった。

「スケーターはジャンプだけではいけないね」

2024年2月上旬。オーヴィジョンアイスアリーナ福岡。

アイスショー「滑走屋」を控えた舞台裏でのこと。青木はアンサンブルスケーター数人のつぶやきに、深く共感していた。

「フィギュアスケーターは表現することが大切だということを再認識する時間になりました」

「滑走屋」は高橋大輔がプロデュースしたショーで、従来とは異なる仕掛けがふんだんに施された。

アイスショー「滑走屋」のパーカーを着てポーズをとる青木(本人提供)

アイスショー「滑走屋」のパーカーを着てポーズをとる青木(本人提供)

出演者は日本人のみ。その大半が、若手スケーターによって構成された。1公演あたりの時間は75分と短めに設定され、1日3公演のサイクルで3日間を通した。

振り付けは、劇団四季出身で東京パノラマシアター代表の鈴木ゆまが担当。出演者全員が黒色の衣装に身を包み、テーマの一貫性が重視された。

翌シーズンの進退を決めかねていた青木にとって、得がたい時間だった。

何よりも、これまでの競技人生を見つめる時間となった。

「スケートは得点だけではなくて、表現ができる点にも良さがあると思っていて。私もそれを大切にしてきているつもりではあったので」

フィギュアスケートは表現ができるスポーツ。

2年前の冬。

どん底に落ちた時も、同じことに気付かされた。

最下位となった全日本、差し込んだ希望の光

2021年12月23日。さいたまスーパーアリーナ。

最終滑走で登場した全日本選手権のショートプログラム(SP)で、最下位の30位に沈んだ。

あの日から2年以上の月日が流れても、演技をフルで見返したことはない。飛ばしとばしでしか、動画の再生ボタンを押すことができない。

「記憶がよみがえるのが怖いので、ちゃんと通しては見たことがないです」

当時は感情がぐちゃぐちゃになった。スケートのことを思い浮かべたくなかった。「この世界から消えてしまいたい」とさえ思った。

ただ、絶望の中でも、光は届いた。

全日本からしばらくたった日のこと。ぼんやりとスマートフォンを眺めていた時だった。

「ツイッターだったのか、インスタのDM(ダイレクトメッセージ)だったのかは覚えていないんですけど」

目にしたのは、女性ファンからのメッセージだった。

その女性は、あまりスケートを見たことがない男性と一緒に全日本を見ていたのだという。こんな旨がつづられていた。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。