【日下匡力〈中〉】終電からの5時間寝ないでブレード磨き スケートに注ぐ情熱

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第20弾は、埼玉を中心に活動する日下匡力(くさか・ただお)コーチ(43)を取り上げます。

昨季のグランプリ(GP)ファイナルに出場した実力者、佐藤駿(19=エームサービス/明治大)を担当する指導者の人生とは-。

3回連載の第2回では恩師である浅野敬子コーチとの出会い、教え子の指導のみならず、スケートに情熱を注ぐ様子をお届けします。(敬称略)

フィギュア

   

23年2月の4大陸選手権、得点を見て佐藤駿の肩を抱く日下コーチ(ロイター)

23年2月の4大陸選手権、得点を見て佐藤駿の肩を抱く日下コーチ(ロイター)

「コーチやってみない?」恩師からの誘い

2001年9月11日は、世界の歴史が変わった日だった。

日本時間午後10時前後の出来事だった。米同時多発テロ事件の一報は、衝撃的な映像とともに、瞬く間に全世界中へと発信された。

日下は日大経済学部の4年生になっていた。

大学生最後のシーズンが本格化していく時期。就職活動を行い、すでに内定先が決まっていた。

大学の講義で国際金融論に強い関心を持っていた。衝撃的なテロ事件。日々報じられる犠牲者の情報に心を痛めた。次にワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に飛行機が激突したことによる、世界経済への影響を考えた。大学院でさらに深く、専門的に学びたい欲が生まれた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。