宇野昌磨の目線は「見る側」に 2つの“想像”が合わさる領域/担当記者・松本航コラム

2022年北京冬季オリンピック(五輪)でフィギュアスケート団体日本代表の宇野昌磨さん(26)が2024年9月10日、銀メダルを受け取りました。

都内で開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の理事会前に機会が設けられました。北京五輪団体は金メダルだったROC(ロシア・オリンピック委員会)のカミラ・ワリエワ(18)がドーピング違反で資格停止処分となり、日本は銀に繰り上がりました。

金メダルとなった米国とともに8月7日、夏季五輪開催中のパリで授与式が開かれましたが、宇野さんは先に決まっていたスイスでのアイスショー出演のために欠席となっていました。

5月の現役引退を経て、首にかけた五輪の銀メダル。2016年から取材を続けてきた記者が、感じたことを記します(本文敬称略)。

フィギュア

「自分もあの舞台に立っていた…」

音声マイクを手にしたスタッフが地面に座り、その後ろへテレビカメラがずらりと並んだ。

紙面やウェブに情報を発信する我々は、宇野が立つとされる位置の両脇に並び、その時を待った。

「ここにこんなに人が集まったことって、あるのかな?」

どこからか、そんな声が聞こえてきた。

2024年9月10日、都内にあるJOCオフィスの一角。

授与式を終え思いを語る宇野昌磨さん(2024年9月10日撮影)

授与式を終え思いを語る宇野昌磨さん(2024年9月10日撮影)

銀メダルを首にかけた主役が姿を見せると、テレビカメラの合間から静止画で記録を残すスチルカメラマンがレンズを向けた。

にぎやかな囲み取材の現場でも、宇野は変わらなかった。

特に緊張した様子もない。

5分ほどすると、印象的な言葉が出た。

「やっぱりパリオリンピックを見ていたからこそ『自分もあの舞台に立っていた存在だったんだな』と、このメダルをいただいて感じますね。本当に現役を退いて間もない身ではありますが、ああやってテレビの前で活躍されている、格好いい皆さんの姿に、自分が過去になれていたんだなということは、すごく僕にとっても誇らしく思います」

とっさに重ねて聞いた。

―競技者の時は1つ1つの大会をやっていくうちの1つが五輪だったと思います。1歩離れてパリを見ていると、五輪の見え方は変わりましたか

彼は「こうやって離れて見る側になると、オリンピックというものは、やっている側より、見ている側の方が特別な感じはしました」と率直な感想を述べた。

選手の感情、見る側の心

アスリートが人々にもたらす影響は、千差万別だ。

この夏、パリの地からも多くのアスリートが自身の姿と言葉で思いを伝えた。

現地時間8月11日の夕刻、私はメインプレスセンターからメディアバスで閉会式会場のスタッド・ド・フランスへと向かった。

パリ五輪の閉会式(2024年8月11日撮影)

パリ五輪の閉会式(2024年8月11日撮影)

日刊スポーツ現地取材班のリーダー「キャップ」を担う先輩の阿部健吾は、長くフィギュアスケートも担当してきた。

車中では「パリオリンピックの価値」について、思うことを話した。

阿部が「この大会、選手から『幸せ』って言葉を、すごく聞く気がするんだよなぁ」とつぶやいた。記者によって担当競技は違うが、自分の取材を振り返っても度々耳にした。

無事に大会が閉幕し、閉会式の様子を伝える紙面に、阿部が抱いた思いが掲載された。

ネット記事のタイトルには、こうあった。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。