【日下匡力〈下〉】「駿は、直せると信じていた」きっかけは11年前全日本の出来事

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第20弾は、埼玉を中心に活動する日下匡力(くさか・ただお)コーチ(43)を取り上げます。

昨季のグランプリ(GP)ファイナルに出場した実力者、佐藤駿(19=エームサービス/明治大)を担当する指導者の人生とは-。

3回連載の最終回は今も忘れられない出来事、佐藤との出会い、将来への思いをつづります。(敬称略)

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フィギュアスケートGPシリーズフィンランド大会の公式練習で佐藤駿(右)と話し合う日下匡力コーチ

フィギュアスケートGPシリーズフィンランド大会の公式練習で佐藤駿(右)と話し合う日下匡力コーチ

最後の全日本、折れたブレード

2012年12月。真駒内セキスイハイムアイスアリーナ周辺は、北海道らしい厳しい寒さだった。

第81回を迎えた全日本選手権。男子は宮城・東北高3年の羽生結弦、10年バンクーバー五輪銅メダリストで26歳の高橋大輔、15歳の宇野昌磨らが名を連ねた。

32歳の日下はコーチとなり、10年の節目を迎えたばかりだった。

教え子の1人が堀之内雄基だった。母校日大の後輩にあたる堀之内は、11月の東日本選手権を4位通過。大学4年間の集大成として国内最高峰の場に立った。

大会初日、12月21日に迎えたショートプログラム(SP)。堀之内は羽生、高橋、町田樹らと同じ最終グループで、6分間練習を終えた。その模様はテレビで生中継されていた。

24番滑走。緊張感は高まった。前を滑った関西学院大の吉田行宏が得点を待つ間に、氷上で体を温めた。

その時だった。1回転フリップを跳んだ直後、日下の目にも、いつもと違う堀之内の様子が見えた。

「先生、ブレード(スケート靴の刃)が折れた…」

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。