宇野昌磨と向き合った日々 担当記者・松本航

フィギュアスケートで日本男子初の世界選手権2連覇を成し遂げた宇野昌磨(26=トヨタ自動車)が、21年間の競技者生活に別れを告げました。

全日本選手権は10年連続表彰台に立ち、長く国内外をけん引してきました。

初の全日本王者となった2016年大会から取材を始めた担当記者・松本航が、報じる側の1人として向き合った日々を振り返ります。

フィギュア

2016年、初めての取材

私は2016年を迎えるまで、フィギュアスケートと特段関わりのない人生を送ってきた。

縁は全くないが、浅田真央さんと同い年。小学生のころからテレビに映る、その姿を見て「こんな子がいるんだ…」とぼんやり考える程度だった。

高校でラグビーと出合い、大学を卒業するまでの7年間続けた。

ポジションは体を激しくぶつけあうFW第2列。大学時代は白米1日7合半が目標とされ、6食に分けて胃袋に入れた。体重計には毎日乗るが、目標の101キロは遠かった。最高99キロ。3ケタに入ったのは、社会人となってからだった。

さまざまな人間が15人集い、一体となって戦うラグビーが好きだ。体形に関係なく、ポジションごとに輝ける場がある。一方、小柄であれ、大柄であれ、自分の「サイズ」から目を背けられない。頑丈であるに越したことはなく、体と向き合う習慣がついていた。

全日本選手権男子SPで華麗な演技を見せた宇野(2016年12月23日撮影)

全日本選手権男子SPで華麗な演技を見せた宇野(2016年12月23日撮影)

2016年12月、大阪・東和薬品ラクタブドーム。85回目を迎えた全日本選手権で初めて宇野を取材した。

西日本の五輪競技担当として、正規のフィギュア担当の〝助っ人〟の立場だった。宇野を支える関係者に名刺を切ったのも、その時だった。

愛知はもちろん、関西大学や神戸を中心に、西日本には多くの有力選手がいた。ほどなくして2018年平昌五輪に向けた、正規のフィギュア担当となった。

ジャンプの種類を覚えるのに、3大会を要した。五輪まで1年。どのように取材を進めていいか分からず、夏から秋へとシーズンが進む中でテーマを決めた。

身長159センチ(当時の公式資料より)。

全身を大きく使い、爽快なスピードで滑る姿は、小柄なことを感じさせなかった。だからこそ、その数字を見た時に驚いた。

私がラグビーを始めた高校1年生の頃、体重70キロに満たない自身と世界トップクラスのサイズを比較した。数字はトップ選手と、将来を夢見る次世代をつなげる。

だからこそ、宇野のすごみを数字で伝えたかった。

松本記者のノートから

初めて宇野を取材した2016年12月の全日本選手権フリー後。

最下部には「いけ!っていわれたのをかんじて あっとおもってとんで きれいにとべた」と書かれている。

演技最終盤、樋口美穂子コーチの声で3回転サルコーに3回転トーループをつけた場面の回想メモ。

聞きたかった

平昌五輪シーズン。

目の前の競技会を報じる原稿を書きながら、周囲の証言を取材していった。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。