【出水慎一〈中〉】一生の友と忘れないモスバーガー…若き日の苦悩と学び

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第30弾は初となるトレーナーの登場。これまで小塚崇彦さん、宮原知子さん、宇野昌磨さんらを支えてきた出水慎一さん(45)のルーツをたどります。

全3回でお届けする第2回は、フィギュアスケートとの出合いに至る道です。(敬称略)

フィギュア

一生の友との出会い

大庭大業(おおば・ともなり)という男がいる。

スポーツを支える道を志し、出水が進んだのは福岡リゾート&スポーツ専門学校。

そこで一生の友に出会った。

「親友です。大庭は大相撲の横綱白鵬関(現宮城野親方)やプロ野球のソフトバンクなどで活躍した馬原孝浩さんを担当したトレーナーです。この出会いはすごく大きかったです」

大庭大業さんと白鵬(2016年9月8日撮影)

大庭大業さんと白鵬(2016年9月8日撮影)

1年目から同じクラス。大庭がナイキの上下の白ジャージーを着ていたことまで、鮮明に思い出すことができる。

「波長があったんですかね。自然と仲良くなりました」

その後の人生、必ずといっていいほど節目に登場することとなる。

大庭さん(上)と出水さん(2016年撮影、本人提供)

大庭さん(上)と出水さん(2016年撮影、本人提供)

「店長になろうや!」

サッカーに打ち込んだ高校時代を経て、出水は外界へ飛びだした。

まだ18歳。スポーツの勉強にとどまらず、興味は多方面へ向いた。

夏のある日、友人と砂浜に足を運んだ。楽しいバーベキュー。その場のノリで相撲をしていたら、右足の人さし指が折れた。病院に行くと、入院を余儀なくされた。

病室の面々とは、すぐに仲良くなった。全員が年上だった。

流れで社会人のサッカーチームに混ぜてもらった。

人の縁でアルバイトを紹介され、大人の世界を知った。

「接客業を経験して、トークをたくさん覚えました。アルバイトでは付き合う人が同年代だけではないので、話す力が身に付きました。同時に専門学校でトレーニングや、体の勉強をしていました」

専門学校の2年は、あっという間に過ぎた。

専門学校のサッカー部の集合写真に納まる出水慎一さん(前列右)(本人提供)

専門学校のサッカー部の集合写真に納まる出水慎一さん(前列右)(本人提供)

就職先にはフィットネスクラブを選んだ。

初めは大手の面接を受けたが、不採用。

たまたま北九州に本店を構える「スポーツクラブレッツ」からの求人が学校に届いていた。

「学校の先生から『こういうところがあるよ』と紹介してもらいました。面接もありますが、先に1カ月間の実習があって…。『やろう!』と思ったら頑張る性格だったので、そこで内定をいただきました。大庭も同じ進路。お互いに向上心があるので『店長になろうや!』と刺激し合っていました」

入社1年目から店長。大庭と切磋琢磨した。

社会人なりたてのころの出水慎一さん(本人提供)

社会人なりたてのころの出水慎一さん(本人提供)

出水が21歳の秋。2000年のプロ野球・日本シリーズは地元の福岡ダイエーホークスと読売ジャイアンツの顔合わせだった。

ダイエーを率いる王貞治、巨人を指揮する長嶋茂雄の「ON対決」が注目された頂上決戦。ここで親友は人生の転機を迎えた。大庭が離職を決断するタイミングだった。

北九州市八幡西区、折尾にはモスバーガーがあった。当時の上司は女性が多く、2人はかわいがられていた。「あんたら、ご飯食べてないでしょう」。そう言って、よくモスバーガーに連れてきてもらった。仕事の話をし、最後はごちそうになる思い出の場所だった。

当時はごはんに納豆や豆腐、コーラを飲んで腹を満たし、夜にポテトチップスをむさぼるような生活だった。「僕と大庭にとって、モスバーガーは聖地の1つです」。そんな場所で、親友が切り出してきた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。